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安島会長ありがとうございました 会員 塚田 せつ 右乳房の切除、リンパ切除とコバルト照射で105 日の入院治療を受けたのは、昭和59 年45 歳の時でした。 その後、元気になって復職し、「農村の健康管理者」運動の一員として生きがいのある日々を過ごしておりまし た。住民の健康への関心も高まり、集団健診が実施されるようになり、その普及活動として「明野町健康まつり」 の催しがありました。その時「茨城よろこびの会」安島会長のご挨拶があり、壇上の凛とした姿と静かな語り口 で「よろこびの会」設立について述べられました。品性と人格のある方を目のあたりに接し感激し早速その夜会 長宅へ、入会の電話をしました。その後の私は、会長と会えることが「よろこび」となったのです。 平成9 年「肝臓」にがんの転移が分かり、安島会長へ再発の電話、会長は即座に病院名・医師名を指定し、転 院しなさいとの返事。診断された先生に転院したい旨を話し、レントゲンや診断書等の資料をいただき、夢中で 会長のおっしゃった先生の受診を申し込んだところ、窓口で「紹介状が無くてはね」の言葉。私は、受診問診票 の余白に会長名と会長が先生を選ばれた理由を書いてやっと窓口を通していただき、先生の診察となりました。 9 ヵ月間の入院治療で生かされてきた喜びを噛み締めながら、無事に退院することができたのです。68 歳より 「骨」への転移も出て、通院治療などもあり、32 年間の闘病になります。会長のアドバイスがあ って今があることを忘れません。「生きることは 一筋がよく 寒椿」「心から 話せる人の 居て涼し」「生かされて生きてる わが身 今朝の花」好きな句を胸に頑張ります。 ありがとうございます。ずっと見守ってくださいね。(合掌) 故 安島名誉会長を偲ぶ 会員 黒羽 勝江 <詠草三首> 友が逝き師もまた帰らぬこの春の桜見上ぐる思い深めて はらはらと散りゆく花の留処なく吾が空洞埋めるものなし 朝明けを北に指しゆく白鳥の歓声ひび交うまほろばの空 天国に届く携帯電話があったならと思う日々であり「お元気ですか?」と言ってみたい・・・ あの笑顔に逢いたいです。長い間お世話になりました。自らも病を持ちながら会員の方の相談にのっていただき ました。どんなに癒されたことか・・・只々感謝です。また未熟な私を育てていただき、ありがとうございまし た。安島会長との出会いは、人生の宝です。また、元水戸医療センター病院長の村上 穆先生の叙勲祝賀会の折 は、お祝いの三段重ね御赤飯を献上させていただいたことも、会長のお力添えあってこそと、今でも私の誇りで す。なかなか出来ない事をさせていただき、大切な思い出として胸の奥深くしまっております。思い出はたくさ んありますのに今はその糸も切れ、心の空洞に埋まるものがありません。安島会長、どうぞ天国の星となって会 員の方々を見守ってください。 安島前会長の御冥福を心よりお祈り申し上げます 会員 中崎 三千代 安島名誉会長のご冥福を心よりお祈り申し上げます。紺の背広にきちっとネクタイをしめ、いつもすっきりと 背筋を伸ばし、万年青年のような若々しいお姿が今も目に浮かびます。 当会に入会し20 年。それ以来ずっと長年にわたり、兄のように、時にはまた父のような寛容な優しい眼差し で、私たち会員を見守ってくださいましたね。肝臓を半分摘出し、4 ヵ月にも満たない私を、全国大会表彰欠席 者の代理で参加してくれないかと誘われ、片道7 時間もの遠路をバスにゆられ、長野県へ。それは私にとって生 涯忘れられない良き思い出です。宿で、「中崎さん、肝臓は半分無くしても、またすぐ元の大きさに戻るんです よ・・・」と。その言葉がどれ程うれしく私に勇気をくれたことでしょう。 4 度も大手術を受けながら、今もこうしてどうにか頑張れるのも、そうした励ましのおかげかと思います。長 い間、本当に有り難うございました。どうか安らかにおやすみください。(合掌 H26 年4 月) 4