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第32 回全国よろこびの会総会に参加して回全国よろこびの会総会に参加して 副会長副会長 石ア 泰子 平成 26 年度の 全国 総会は総会は、松島湾を望む宮城県松島町で松島湾を望む宮城県松島町で6月 19 日・20 日の 2日間に日間に亘り 150 名の参 加で開催されました。茨城よろこびの会加で開催されました。茨城よろこびの会から は、飯田会長は、飯田会長をはじめはじめ総合 健診協会経営企画室次長の戸田健診協会経営企画室次長の戸田氏と主任の亀代氏など氏と主任の亀代氏など9名の参加 でした 。会員 達は、水戸駅前からマイクロバス水戸駅前からマイクロバスに乗車し、に乗車し、車内交流を車内交流を図りながら図りながら、会場の、会場の松島温泉「松島一の坊」に松島温泉「松島一の坊」に向かいました。向かいました。 総会は、歓迎の言葉・表彰・祝辞に続き、総会議題・宣言と総会は、歓迎の言葉・表彰・祝辞に続き、総会議題・宣言と滞りなく滞りなく進行し、進行し、特別講演は、東北大学特別講演は、東北大学大学院医学研究科大学院医学研究科 消化器病態学分野消化器病態学分野 菅野 武 先生の「今を生き、明日へとつなぐ先生の「今を生き、明日へとつなぐ 〜東日本大震災を通東日本大震災を通して考えるして考える〜 」と題し、医師として東日本大震災の壮絶な現場体験」と題し、医師として東日本大震災の壮絶な現場体験をもとにしたをもとにした講演でした。講演でした。 配布された総会資料には、菅野先生の著書 配布された総会資料には、菅野先生の著書『寄り添い支える寄り添い支える 〜 公立志津川病院公立志津川病院 若き内科医の若き内科医の3・11 』 が同封されていました。同封されていました。先生は先生は、「 時に癒し、しばしば支え、常に慰む時に癒し、しばしば支え、常に慰む」を信条とし、を信条とし、「救う努力をしな救う努力をしながら、必ずしも助けられないがら、必ずしも助けられない時があることを知り、むしろ寄り添い支えることが、とても大切であるとがあることを知り、むしろ寄り添い支えることが、とても大切であると思う。」 と話されました。先生の著書と話されました。先生の著書を会員 や家族、友人など沢山の方に勧め、や家族、友人など沢山の方に勧め、被災地の現状と医師の熱被災地の現状と医師の熱い救済 への思い を共有 できればとできればと思います。菅野先生は、昭和思います。菅野先生は、昭和54 年生まれの年生まれの35 歳。医療歳。医療界の星としての星として将来「赤ひげ先生将来「赤ひげ先生」のよう なご活躍ご活躍を期待し期待し、エールを送りたいと思います。エールを送りたいと思います。 翌日は、地元社会福祉協議会の翌日は、地元社会福祉協議会の方々の方々の案内 による 被災地被災地「東松島市東松島市」の見学でした。復興には見学でした。復興には程遠い程遠い被災地の現状を被災地の現状を大型バス大型バス2台で見て 廻り ました。ました。その中でもその中でも長音寺は長音寺は、全て が流され住職さんも津波に流され住職さんも津波にのまれ てしまいてしまいましたが、ましたが、3年を経て墓石が戻されました。しかし以前の年を経て墓石が戻されました。しかし以前の街並み は無くは無く、荒涼、荒涼として 夏草 が海風に吹かれて海風に吹かれていました 。被災者は。被災者は、現在 、急ピッチで造成している高台の宅地に平成急ピッチで造成している高台の宅地に平成29 年頃 移住す る予定だそうです。私達は言葉も無く手を合る予定だそうです。私達は言葉も無く手を合わせましせました。 発行 茨城よろこびの会茨城よろこびの会 http://www.ibasouken.org/yorokobi.html http://www.ibasouken.org/yorokobi.html 平成 26年 10 月 1日発行 1 松島町「五大堂」 松島町「五大堂」