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vol78   3 / 8

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副会長副会長 佐藤 茂男 今回、最も印象深かったのは、東日本大震災による被災地の見学でした。被災の最も酷かった東松島今回、最も印象深かったのは、東日本大震災による被災地の見学でした。被災の最も酷かった東松島市野蒜 のびる 地区と 野蒜 のびる 小学校を中心として、社会福祉協議会職員の説明では、東松島市全体で約小学校を中心として、社会福祉協議会職員の説明では、東松島市全体で約1,0001,000人死 亡、その中で野蒜地区は約亡、その中で野蒜地区は約600 人。被災後人。被災後3年経った今日では、その悲惨極まる状況は形跡も無く、家年経った今日では、その悲惨極まる状況は形跡も無く、家屋等建築物の殆どは取り壊されて更地の状態でした。野蒜小学校体育館は市指定の避難所となっていた屋等建築物の殆どは取り壊されて更地の状態でした。野蒜小学校体育館は市指定の避難所となっていたこともあり、「大地震の時は、体育館を目指して、子供達、お母さん達、一般の人、更に近くの特養ホーこともあり、「大地震の時は、体育館を目指して、子供達、お母さん達、一般の人、更に近くの特養ホームの方々が車椅子等で避難しムの方々が車椅子等で避難して来た。そこに津波が来てガラスが次々に割れ体育館内は真っ黒い濁流がて来た。そこに津波が来てガラスが次々に割れ体育館内は真っ黒い濁流が渦を巻き悲惨な地獄絵図となった。声も出さずに流されてゆく子供渦を巻き悲惨な地獄絵図となった。声も出さずに流されてゆく子供達や、お年寄り達、しかしどうする達や、お年寄り達、しかしどうすることも出来なかったことも出来なかった。」そうです。」そうです。 また、地元で知られた、長音寺の住職は大切な過去帳を取また、地元で知られた、長音寺の住職は大切な過去帳を取りに行った時に、約りに行った時に、約10 mの津波が押し寄せ、お寺共々流され、mの津波が押し寄せ、お寺共々流され、屋根は 50 m先の運河に沈み、沢山の墓石も全て流された。今m先の運河に沈み、沢山の墓石も全て流された。今は、多くの墓石が新しく設置され並んでおりました。それはは、多くの墓石が新しく設置され並んでおりました。それは約 2,000 人のボランティアによるお陰とか、多くの犠牲者に人のボランティアによるお陰とか、多くの犠牲者に只々ご冥福を祈るばかりでした。々ご冥福を祈るばかりでした。 一方で、高台整地が行われており、そこにはやがて住宅、一方で、高台整地が行われており、そこにはやがて住宅、学校、役所等公共施設を建設予定との学校、役所等公共施設を建設予定とのこと、力強く明るい光こと、力強く明るい光 景も見られ嬉しく思いました。 景も見られ嬉しく思いました。 医師の一言 医師の一言 ひたちひたち生と死を考える会と死を考える会 河越 保久 昨年、私は 昨年、私は3ヵ所の病院にヵ所の病院に4ヶ月間入院をしました。初めての経験に戸惑いを覚え、時には心の活ヶ月間入院をしました。初めての経験に戸惑いを覚え、時には心の活力さえ失いかけたのでした。その時は、肺炎・心臓肥大からくる呼吸困難に苛まれ、苦しさのあまり力さえ失いかけたのでした。その時は、肺炎・心臓肥大からくる呼吸困難に苛まれ、苦しさのあまり命の限界を考えるほどでした。しかし、命の限界を考えるほどでした。しかし、最初 の病院ではの病院では呼吸器専門の医師がいないため、なかなか適呼吸器専門の医師がいないため、なかなか適切な処置はしてもらえませんでした。それが、改善したのは切な処置はしてもらえませんでした。それが、改善したのは2ヵ所目の病院に転院してからでした。ヵ所目の病院に転院してからでした。徐々に呼吸も楽になり体力も少しずつ回復していきました。徐々に呼吸も楽になり体力も少しずつ回復していきました。「この調子なら退院も近々出来るのではなこの調子なら退院も近々出来るのではないか 。」 そう思うようになったのですが、なかなか許可を出してくれません。そう思うようになったのですが、なかなか許可を出してくれません。 こんなに長く入院して仕事はどうなるのだろう?家族にかけている負担や不安をなんとかしなけれこんなに長く入院して仕事はどうなるのだろう?家族にかけている負担や不安をなんとかしなければ…。しかし焦ってもどうにもなりませんでした。生きる自信を失いかけた時、主治医から、。しかし焦ってもどうにもなりませんでした。生きる自信を失いかけた時、主治医から、「専門病専門病院でカテーテル検査を受けるように院でカテーテル検査を受けるように。」 と指示があり水戸の病院に転院しと指示があり水戸の病院に転院したのが、 3ヵ所目の病院です。ヵ所目の病院です。 検査を終えた担当医師に「心臓は大分元に戻って来ていますよ、不整検査を終えた担当医師に「心臓は大分元に戻って来ていますよ、不整脈も 治せる治せる可能性があります。」そう言われホッとしました。さらに微笑可能性があります。」そう言われホッとしました。さらに微笑みながらこう言ったのです。「河越さん、大丈夫ですよみながらこう言ったのです。「河越さん、大丈夫ですよ!仕事が出来るよ仕事が出来るようにしましょううにしましょう。」その一言に目の前」その一言に目の前がパッと明るくなり、心が軽くなりパッと明るくなり、心が軽くなりました。そして体中を暖かい血が流れ始めたような感覚ました。そして体中を暖かい血が流れ始めたような感覚さえ 覚えたので覚えたのです。 「また仕事が出来る!また仕事が出来る!」そう思え、小さな自信が芽生えました。そう思え、小さな自信が芽生えました。 その後、退院した私は、自宅療養後その後、退院した私は、自宅療養後に仕事を再開仕事を再開できましたできました。元のよ。元のように長い時間は出来ませんが、それでも働ける喜びを日々感じてうに長い時間は出来ませんが、それでも働ける喜びを日々感じています。 そしてこれまで支えてくれた家族、友人に感謝しています。そしてこれまで支えてくれた家族、友人に感謝しています。 医師の一言で私は、心も体も救われたのでした。医師の一言で私は、心も体も救われたのでした。 3 津波で全て流されしまった長音寺跡 被災地を見学して 被災地を見学して