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vol83   2 / 8

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茨城県立中央病院名誉院長 永井 秀雄 8 年前、茨城に赴任してきたとき、可住地面積の広い県の医療を理解するには地理・地勢をまず知る必 要があると直感しました。どこにどのような医療機関があるのかはもちろんですが、患者さんや家族の 方の身になれば、車でどの道をどのくらいの時間で移動するのか、公共交通機関を使う場合はどの駅、 どのバス停を使うのかも、大切だと感じたからです。そこで、家内を誘って休日に県内を回り始めまし た。全44 市町村踏破には2 年半かかりました。 ある日、常陸太田市鯨ヶ丘の市街地を車で走っていると「太田落雁(おおたのらくがん)」の案内標識 が目に入りました。車を止め狭い路地を少し歩くと、見晴らしの良い高台に出ました。大きな石碑があ り、独特の文字で「大田落雁」の銘が刻まれていました。説明板によれば徳川斉昭揮毫とのこと。斉昭 命名の「水戸八景」のことも知りました。 以来、「青柳夜雨(あおやぎのやう)・山寺晩鐘(やまでらのばんしょう)・村松晴嵐(むらまつのせい らん)・水門帰帆(みなとのきはん)・巌船夕照(いわふねのせきしょう)・廣浦秋月(ひろうらのしゅう げつ)・僊湖暮雪(せんこのぼせつ)」の現地を季節・情景に合わせて訪ねました。例えば、青柳夜雨は 夏の夜、雨を狙って那珂川北畔に出かけました。広浦秋月は病院からの帰路、秋の満月に気づき、真夜 中の涸沼に向かいました。問題は僊湖暮雪でした。偕楽園に何度か足を運び、碑を確認しておりました が、いかんせん雪がありません。冬、たまに雪が降っても、平日であったり休日でも所用があったりで 地団駄を踏みました。 しかし、ついにその時が来ました。2011 年2 月11 日、建国記念日。その日、水戸は朝から雪でした。待 っていましたとばかり、昼過ぎに家を出ました。雪景 色の好文亭を横目に坂を下りていくと、小さな碑は梅 と松に守られ、静かに座していました。 その1ヶ月後、東日本大震災が襲いました。偕楽園 の南崖は崩れました。 あれから5 年。天変地異に思いを馳せ、水戸藩や常 陸国の歴史を振り返るとき、人々の営みが連綿と続い ている事実に気づかされます。病を患うひとも診るひ とも、同じひととしてのつながりがあることに思いが 至ります。 集いの場 副会長 河口 雅弘 新年おめでとうございます。 平成25 年度よろこびの会総会にて佐藤 茂男前副会長の後任を、日数も経験も浅い私が引き継ぐこと になりました。大役を引受けたものの、私に何ができ、何をすべきなのかを考えたとき、会員の皆さん は何を求めてよろこびの会に「集われて」いるのかが気に掛かるようになりました。 国語辞典の「集う」という言葉には「人々がある目的をもってある場所に集まる。」とありました。一 方、よろこびの会の会則の目的は「悪性腫瘍等の治療を受けた者及びその関係者の交流を通して、広く 一般の人々に対する健康保持への啓発を行い、明るい健康な社会づくりに寄与すること」としています。 そしてその目的を達成するための事業として 永井先生連載シリーズ 第2 回「水戸八景」 2 僊湖暮雪の碑(筆者撮影)