【DO!BOOK・ページリンク】
vol84   2 / 8

BOOKをみる

10秒後にBOOKのページに移動します


役員会では、このような議論を約1 年かけて行い、「当会を取り巻く状況の進展に鑑み、これまでの活 動を継続しつつ、更に一歩前進し、がんサバイバーとして社会に貢献する」そして「何ができるか」を 検討してきました。結果、行き着いた先は私達の体験を活かす「がん体験談スピーカーバンク」でした。 茨城県立中央病院名誉院長 永井 秀雄 茨城県東部の鹿行(ろっこう)地域は厳しい医療状況にあります。医師不足の茨城県のなかでも最悪 とされます。救急がとくに厳しく、利根川を挟んで隣の千葉県に頼ることが少なくありません。「ちばら き」という呼び方も耳にします。地元の病院も行政も住民もさまざまな工夫をしていますが、どうにも ならない現実があります。 そうした状況を自分の目で見て足で感じようと、例によって休日を利用したドライブに出かけました。 霞ヶ浦の東岸にあった鹿島鉄道線の廃駅(浜駅)から湖越しに眺める筑波山、潮来の水路を行き交う小 舟、鹿島灘を真正面に受け延々と続く風力発電機。医療の厳しさとは別世界の自然と人が織りなす風景 に見とれました。 忘れられない光景があります。霞ヶ浦と太平洋との間に北浦という南北に細長く延びる湖があります。 その北浦の中央やや北側を東西に結ぶのが鹿行大橋です。鉾田市南部や鹿嶋市北部の住民が、例えば霞 ヶ浦の出島を通って県内唯一の1,000 床病院と言われた土浦協同病院に行く場合に、欠かせない橋です。 その日、私の車は西から東に抜けることにしました。しかし、橋の手前で車が10 台ほど停まって順番待 ちをしていました。整備員に聞くと、橋の老朽化で重量制限をしており、また、すれ違いが難しいので 片側通行にしているとのこと。対岸をみると新しい橋の工事が始まっていました。 「あの橋はいつできるの?」 「もう何年も工事をしているけどちっとも進まない。予算がねえから。」 そう言われれば、現場に作業の人も車もなく、工事は止まっているように見えました。やっと順番が 来て、狭いオンボロ橋に入っていきました。数か所に待避所があり、通行・待避を繰り返して何とか渡 り切りました。 振り返ると、夕陽に照らされた北浦の水面が幻想的に輝いていました。 その2 年半後、東日本大震災で鹿行大橋は崩落しました。トラックの運転手1 名が犠牲になりました。 悔いが残りました。なぜ、県に強く言わなかったのか、と。 一県人が声高に叫んでも結果は同じだった でしょう。自分が何も言わなかったことへの 後悔です。 新しい鹿行大橋はその1年後に開通しま した。急ピッチで工事したと報道されました。 しかし、当初2008 年完成予定だったという 事実があります。土地買収に手間取ったと言 われました。虚しいばかりです。 旧鹿行大橋。写真右端(枝の合間)、橋の向こう 側に工事中の新しい橋の先端が見える。(2008 年 9 月23 日、筆者撮影) 永井先生連載シリーズ 第3 回「鹿行大橋」 僊湖暮雪の碑(筆者撮影) 2